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2012年5月27日 (日)

4泊5日綱渡りの旅 10

パン 野菜 コーヒーの簡単朝食を済ませ 朝のお勤めも無事に済ませ 7:44のバスに乗る 朝からしっかり雨 でもホテルのすぐ前から乗るのでたいしたことはない 「仮設前」からも乗客 学生も乗る 宮古着8:33 快速リアス 山田線 宮古初9:31に期待満々で乗る ピュッの後 雨に煙る山々を眺め ピュッの後 山々の稜線をスケッチする 新聞を読み終えた年輩のほっそりしたおじさんが鞄から薄い冊子をいくつか取り出し見るようにすすめてくれた 宮古市が出している月刊誌だった 宮古市を襲った津波の写真が載っていた 「おじさん こんなところに舟が写ってるよ!」「末広町という宮古市の中心なんや」「そうなんやここも大変やったんやねエ」「閉伊川に架かる鉄橋も壊されて釜石方面の線路は断絶!」「お家は?」「すごい揺れの後 がたっ・ぴしっと音がしたので外を覗いたら津波・・・急いで二階へ・・・」国道45号線の道路のおかげで膝ぐらいの浸水で止まったのだそうだ 交通が動き始めてから相模原の息子たちが寝袋持参で片付けにきてくれたそうだ「これから千葉の娘の子が結婚するので行くところ・・・この冊子を見せてやろうと思って・・・それと」鞄からごそごそとり出したもの「田老の海の鴎が飛んでいる帆船」「あ ボトルシップやね」「お祝いにと思って・・・船はピンセットでビンの中で作る 鴎がコルクの蓋の先にとまっている ビンの口より大きい鴎がどうしてか・・・5分考えて」しばらく考えてもわからない「教えて!」「教えません」「えエーッ」「ところで結婚式なのに奥さんは?」いきなり肘で小突いて「私80代 おっかアは3っ年上 足が悪いので 留守番 寂しかったら 高台にいる妹の家に行っとけというてきた」他にも絆という文字のはいった黒竹細工のコースターを披露してくれた 「おじさん 今度地震があったらすぐに高台に逃げるのですよ!お元気で!」と別れた 盛岡には11:34に到着 牛肉のみそ焼き弁当を買って12:10発のやまびこに乗る(おじさんは盛岡でゆっくりお昼を食べて14:10のやまびこに乗るらしい) 15:24東京着 15:30発のひかりに乗りたい 乗り場が離れているので俊敏に動く ギリギリに間に合う 福山雅治の歌を聴きながら18:15に無事京都着 切り取って持ち歩いた時刻表のおかげで予定よりかなり早く着いた ・・・被災地の方々をただ思いやるしかなすすべの無い非力な自分は その後 京都の家でぼんやりと過ごすばかりだった 

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4泊5日綱渡りの旅 9

ホテルは8階建て 609号室の部屋から 海は少しだけ見える 温泉に入る 光明石温泉というのだそうでとてもまろやかだ 思えば遠くまで来たもんだ 露天風呂は残念ながら閉鎖だ すっかりくつろいで 味処「やまぼうし」で 夕食はお造り定食を頼む 日本酒は「龍泉八重桜」を熱熱燗で1合 お造りの「つぶ貝」が美味しかったが いかづくり(赤)がことのほか・・・お酒に合う!・・・ご飯が美味しい・・・岩手の「ひとめぼれ」・・・臨時診療所のそばのお土産屋さんで髪留めを買う レジで40代後半ぐらいの女性がぽつんと「がんばっているのですが・・・それでもときどきへこむんですよね・・・」「そうですとも へこむときはへこんでください」 慰めにもならない言葉をかけるしかないことが悲しい フロントで昭和8年に三陸大津波を田老町で そして今回の大津波でまた町で家を流された(ご自分は高台の妹さんの家に避難して命を繋いだ)86歳の田端ヨシさん作の「つなみ」という絵本を買った こどもたちに津波体験を語り継ぐために創作した紙芝居が本となったものだそうだ 「最も怖いのは わすれてしまうこと」だとヨシさんは言う 災害にあわれた方の悲しみを思い 避難するための知恵を知らず知らずのうちに日常の中で記憶にとどめることができるように願っていると監修の山崎友子さんが結んでいた・・・

訂正 ・・・8 田老町の40台の運転手さん  →40代の運転手さん  

   

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2012年5月26日 (土)

4泊5日綱渡りの旅 8

山田線宮古駅着 13:04 13:10発のグリーンピア行きバスにうまいこと乗ることができた (次は15:30まで無い) バスは少しずつ坂を上って行く ように感じた 震災の被害も津波の被害もだいじょうぶだったのかとホッとしていたら 「三陸鉄道 田老駅」は津波の後が生々しく残っていた まわりも残っているのはやはり家の基礎・・・バスは上って行く 「仮設住宅前」というバス停があった ザワザワと気持ちがゆらぐ 13:53小雨が降る中 バスはグリーンピアに着いた 自然の中の整備されたリゾートホテル?!少し寒いのでフロントで聞いた仮設前の大きなプレハブのなかの食堂で天ぷらそばを食べた 花見用のお弁当を10個予約しにきた人がいた 仮設に住んでいる人のための施設のようだ フェンスに囲まれたたくさんの仮設住宅に住んでいる人たちに思いを寄せながら雨のなかを歩いた081  桜が咲いて美しい自然のなか・・・雨にぬれていっそうひきたつ芽吹きいろのやわらかいみどりのなかを歩いた 海のそばに行きたかったので フロントで田老の駅前からタクシーを呼んもらった 「取材にこられたのですか?」「いえ 京都から お見舞いの気持ちを届けにきました 田老港まで連れて行ってください」 気持ちが通じて40台ぐらいの運転手さんはいろいろ話してくださった 家は高いところにあって家族はみな無事だったこと 会社は津波が被って 車も2台流されたが 市の補助金で壊してもらって 高いところに移ったこと 同僚もみな無事だったこと・・・田老港で車を降りた 港のそばの岩に 明治29年の津波(15m)と昭和8年の津波(10m)の到達点が記されていた万里の長城とも言われ海外からも視察に来るほどの田老町自慢の10mの防潮堤をしかも二重の防潮堤を 37,9mの津波は簡単にこえ 宮古の町を無残にも破壊したのだそうだ 海を見て祈った「もうこれ以上 みんなを苦しめんといて・・・みんな大好きな海なんだから」 青海苔がへばりついている 石段からおりて海水を舐めてみた  しょっぱい・・・ 代金5000円に生八橋に気持ちをを添えた 「ありがとうございました 少しずつがんばってください!」 

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2012年5月25日 (金)

4泊5日綱渡りの旅 7

石巻グランドホテルも フロントのあるフロアは膝まで津波が来たそうだ 今はきれいになっているが 市内の業者が多大なダメージを受けておりホテルも清掃などいろんな部分で影響を受けているのがそこかしこ感じられた 美味しいパンと野菜 ソーセージ コーヒーの軽い朝食を済ませ チェックアウト 仙台行き高速バス乗り場に向かった バス停に並んでいると 同年輩ぐらいのご婦人がふと話しかけてきた 「家が津波に持っていかれましてね・・・仙台に非難していたのですが 前の家のところに建直して住んでいるんです 前は家から海は見えんかったのに今はスカスカでずっと海まで見通せるんです 斜め向いの家族も津波でね・・・おきのどくでした」渡波(?)にお住まいとか 「元気でいましょうね!」と別れバスに乗り込んだ バスは学生もいてかなりの人だった 8:00出発 内陸部を走って 9:20仙台着 超早足で新幹線改札 全席指定の「はやて」の座席指定を順番を待ってとる  仙台発9:30の「はやて」に乗り込んだ 盛岡着10:19 山田線 盛岡発11:05 宮古着13:04の電車に乗りこんだとき「フーッ」と大きく息継ぎをした ガラガラの車内 座席に足を投げ出し 前横の車窓を見る 芽吹き色のやわらかい緑 山吹の黄色 雪柳の白 そして ヤマザクラ・・・ 「ピュッ」「ピュッ」と音が出るたびに短いトンネルに入る トンネルを抜けると山が連なる やわらかい春山をどこまでも奥深くわけいって 「ピュッ」「ピュッ」と山田線の上を電車ははただひたすらに走る 永遠に続いてくれればいいと心から思った・・・が 仙台・盛岡間の倍以上の2時間の山田線は終わり宮古に到着してしまった 日本中の半島をローカル線で行く旅にはまりそうな気持ちにさせたそんな山田線だった      

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2012年5月24日 (木)

4泊5日綱渡りの旅 6

日和山は56,4mの低山(名取市の日和山は6,3m 仙台市宮城野区の日和山は6,05mで日本ー低い山だったが震災の地盤沈下と津波で無くなったそうだ) 暖かい穏やかな午後になった ベンチに座ってぼんやりした 鶯の鳴き声が届き 目の前は八重桜が満開080  その先に海が見えた 多くの人が日和山で命を繋いだ 先ほど案内してもらった門脇小の子ども達も日和山で命を繋いだ 日和幼稚園の送迎バスに乗った12人のうち門脇小で降りた7人の園児も日和山で命を繋いだそうだ 隣のベンチに自分と同年輩と思われるご婦人が 長い間静かに海を眺めておられた そして時々ハンカチで目を押さえておられた・・・ただただそっと心境を思いやるだけしかできない

石巻は牡鹿半島の両側を津波がきたので ほんとうに市全体が大変な状態にあるのが感じられる 北上川や旧北上川を津波が遡り被害を広範囲にした 日和山や国道が防潮堤の役目をした 娘がかって住んでいた門脇谷地は国道45号線の山側(?)と思い出した

住吉中でラジオの深夜放送を聴いていた先生が福山雅治に働きかけて ライブが実現された その様子が NHKのSONGSで放映された 幼児から大人まで 全てから解放されて 音楽の世界に入り込んでいる 歌の力はすごい 福山雅治はすごい 彼は「こどもたちに プロの技をみせてやりたい!」「これで飯を食ってる奴もいる!ことを知ってもらいたい」と言っていた

山で焼きソバを食べた 「おつりはいいです」と言ったら ご主人や娘さんにも「いただきましたよ!」と報告して 漬物の盛り合わせをサービスしてくれた とても美味しくいただいた 松尾芭蕉や石川啄木の歌碑を見ながら旧北上川沿いにに出て 満々と溢れそうな水量の河畔をゆっくりと歩いた 橋のところで 大きなショベルカーが川底を何回も何回もさらっていた 駅に続く漫画ロードも厳しい状態 漫画キャラのフィギアは元気だった 夕食はホテルのそばの「二番目に安い 二番目においしい 居酒屋」で食べた 無口なイケメンの板さんの前のカウンターに座り 食べたことがないカワハギの焼き魚定食にした 斉藤和義の鼻にかかっただるい歌が流れていた・・・明日は早く発つことにしよう・・・ 

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2012年5月22日 (火)

4泊5日綱渡りの旅 5

矢本からJR代行バス 海よりを走りはじめると 津波の被害も目にはいるようになった 石巻到着は 10:48 石巻は 仮面ライダーなどで知られる石ノ森章太郎漫画ミュージアムがあるのでさっそく仮面ライダーのお出迎・・・駅の壁に津波の到達した印が膝くらいのところに記されていた 近くの観光協会で市内のマップをもらってタクシーに乗った コワモテノ 小柄な運転手さんにわけを話して娘が住んでいた門脇辺りを走ってもらうが会社に聞いてもらっても今では番地が判らなくなっているそうなので 海の方角に進めて貰った 家の基礎だけが残った土地がひろがる 高い建物は津波が襲った高さまでは鉄骨だけが残っている ベランダの柵はねじれている 防波堤には近づけないようだったが どうにかたどり着いて海を見ることができた 他の車とすれ違いざまに「なにっ!」 突然大きな声で運転手さんが怒鳴ったので「どうしたんですか?」と聞いたら「どけっ! と若い娘が言ったので」「まア!失礼やね!」・・・「海を見たので あとはお任せで 最後は日和山で降ろしてください」 で案内してもらったのは「みんなはここを車の墓場と呼んでいます 被害にあった車をここに集めています」 毀れて ひしゃげてしまった車がきちんと積み重ねられてまるで防波堤のような形で置かれてあった 「あれは 自然発火で火事になった 門脇小学校で 今はもう廃校です この辺はプロパンなので漏れたガスに金属とかがぶつかって出た火花で燃え移り 津波に流されたきた家とかにも火が広がったのです」「ぜひ見てもらいたいものです 陸前高田市の奇跡の一本松はよく報道されていますが 小学校のそばに墓があるでしょう そのすぐ下に 幹が黒焦げになった松が緑の葉っぱをつけているのがわかるでしょう 火事で黒こげになったのに 生き返ったのです これが 僕らの奇跡の一本松です」「ほんとに 命を繋いだのですねエ・・・」「日本製紙の工場です 今は瓦礫を分類 粉砕 袋詰めにして受け入れてくれる全国の各地に運ぶ準備をしています 」「もうひとつ 見せたいものがあります」日和大橋を渡ってまもなく右手に赤と青の大きな大きな物体が斜めになったまま置かれてあった「これは 石巻水産の鯨の大和煮の缶詰に使うたれ をいれてあったタンクです 津波がここまで運んできました」「なんかこう言ったら不謹慎ですが 見事なオブジェですねエ 震災を忘れないためにぜひ残してください 写真に撮りたいけど 今回は写真は撮らないと決めたので・・・」「言わなくてよかった!あの松を撮ってもらいたいと思ったのですが・・・」「しっかりと心に焼きついています!忘れるものですか!」後 一階が浸水して休館中のファンの激励の寄せ書きが貼られた「石ノ森漫画館」 素敵な建物だったのに無残な姿になってしまった「教会堂」 腹部が破壊されたのにしっかりと踏ん張っている「自由の女神像」に案内してもらったあと 日和山に行ってもらった 淡々といっぱい案内してもらった 親しみの持てる運転手さんだった 「来年70歳になるから 頑張れるだけ頑張ります」「お元気で!ありがとうございました!」 生八橋はホテルに預けた荷物の中なのでおつりはもらわないことにした (5000円)  

   

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2012年5月20日 (日)

4泊5日綱渡りの旅 4

上野を1時間も(・・2の44分は間違い)早い新幹線に乗ることができたので 今日の宿 松島海岸には明るいうちに到着できそうだ 本当なら 名取から石巻まで一気に行くつもりだったが どうしても夜になりそうで 日本三景の松島で一休みをすることにした 仙台空港線 名取16:39発 仙台16:53着 仙石線 仙台16:59発 松島海岸17:37着・・・仙石線の乗り場が離れているので 早足でなんとかまにあった 松島海岸の駅であらかじめ JTBで予約してもらった 「松島センチュリーホテル」に電話をして迎えにきてもらう 無口そうな運転手さんだったので 自分も黙って外を眺める 10年ほど前にきて娘と孫と水族館をみてお刺身をたくさん食べたことを思い出す ここは島がたくさんあり それが防潮堤の役目をして たいした被害は無かったそうだ それでもホテルのフロントは膝ぐらいまで津波がきたらしいが すっかりきれいになっていてそんな気配は感じられなかった  チェックインををして海を見に行く 防波堤の手前にロープが張り巡らしてあるので 防波堤に腰をおろして海を見ることはできない まだもとの状態ではない ともかく 今日はゆっくりしたい とろり・つるりの温泉は疲れた身体に心地よい 露天風呂は海が見えて少し寒い風が気持ちよい 半会食半バイキングの夕食 今夜はワインはロゼ カラオケルームもあるようだったが乙乙・・・朝食はバイキング 麦飯にとろろ すじこ じゃこおろし 笹かま 焼き魚 根菜の煮物などなど・・・そして〆はホットケーキと美味しい美味しいコーヒー・・・小さくなって大食い卒の胃袋が遺憾の極み まだすごいことがあった なんとロビーに森田茂氏の「能(?)」「牡丹」 片岡珠子氏の『富士」の大きな画が架けてあった その他にも素晴らしい小品がいっぱい・・・好みが一緒なのが嬉しかった(失礼) 代金20730円 

ぐっすり寝たので 元気回復 今日も早めに動き出す 仙石線 松島海岸9:42発 矢本着10:25 JR代行バス 矢本10:33発 石巻10:48着 の予定に間に合うように送迎の車をだしてもらう 話しやすい運転手さんは東松島の野蒜の住人 松島海岸で方向を変え17mの津波となって東松島を襲い被害が甚大だったとのこと 運転手さんの家は1階が浸水したが 家族は無事だったそうでほんとうによかった 仙石線はほとんど内陸部を走る 矢本からは線路が寸断されているのでJRの代行バスがきっちり繋ぐ (JR西日本のエライ人に見せてあげたい) バスの車窓から 津波の爪跡が見られ始めた  

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2012年5月18日 (金)

4泊5日 綱渡りの旅 3

イヤホンもせず 京都で買った宮尾登美子の「平家物語」も読まず 目を凝らして車窓の東北の山や田畑を見いるうちに仙台に到着 初めの予定よりも早く着いたので ようやく気持ちにも余裕ができた 仙台から名取までは仙台空港鉄道を利用 本数が多く 13分の距離 14:18には名取の駅に降りた タクシーを2時間チャーター 「京都から震災のエールを届けに来ました 年を食っててボランティアはかえって迷惑をかけるので 気持ちだけですが・・・津波のあった海まで連れて行ってください」「来てもらって1円でも2円でも落としていってもらうことが励みになります」・・・目の奥が痛くなったがもう泣かないと決めていたので我慢する 30代と思われるまだ若い運転手さんにまず娘が前に住んでいたマンションからと その番地を云ったら カーナビに誘導されてほんとにそのマンションの前まできた 孫が後追いして大変なので行くことを断念したマンションだ そしてそこからすぐ「閑上」地区にはいる 津波9.09メートルと報道されていた地区である ほんとに ほんとに 家の基礎だけが残っている平坦な土地が続く 「この辺は 埋立地区なので 避難できる高い場所がなくてたくさんの犠牲者を出してしまいました」「この小学校も津波がきて いまは廃校です」「子ども達はどうだったんでしょうか」「幸い 3階に逃げてみんな無事だったようです」・・・下駄箱の上に 赤いランドセル 黒いランドセルがいくつか 泥のついたまま 並べて置かれていた 布製のペンケースが校舎を出た泥のうえに落ちていた チャックが開いていて中にはコンパスが入っていた その近くに三角定規と消しゴムと ミッキーマウスのきいろい鉛筆が落ちていた これらの持ち主はいまどこに? 校庭の隅にチュウリップが頼りなげに咲いていた 小山があってそこに舟があったのでびっくりして「津波に運ばれてきたのですか?」「イエイエ 海の傍の学校ということでシンボルとして置いてあるんです」「・・・」「海の傍まで行きたいのですが」「行ける所までいきましょう」車を走らせながら「このあたりは砂地ですから メロンとかハウス物が多いのですが壊滅状態です」ハウスのビニールの切れ端がとんでもなく高いところに引っかかっている「あそこまで津波がきたいうことです」「向こうに見えるのは老人ホームです 高い建物にいた人は助かりましたが 平屋にいた人は津波に流されました 人手が足りなくて助けられなかったそうです」・・・海岸は防波堤に腰をおろして海を見ることはできない 近づくこともできない 名取川(?)の河口から閑上港あたりを見る とても美しい 「仙台空港も行きますか?」「滑走路には津波がきました 小型機が何機かダメージを受けたようです」「名取空港というよりは仙台空港のほうが知名度が高いですからそういう名称になったようです」・・・「少しずつ 少しずつ頑張ってください」「自分らが自分でやるという気持ちがないと駄目なのに 人を頼りがちで・・・」「 甘えてください そして これから少しずつ・・・ですよ」 めいっぱい案内してもらって名取の駅でタクシーを降りる 代金1万円と京都の生八橋に感謝の気持ちを添えて・・・   

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2012年5月17日 (木)

4泊5日 綱渡りの旅 2

ホテル丸谷を8時過ぎに出て 予定通り 130円で入場券を購入 広小路口 中央改札を通り 新幹線乗換え口傍のロッカーに荷物を入れ 15番線ホームからエレベーターに乗り 公園口通路から 公園口 004 東京都美術館まで 矢のように移動  9:30の開館まで30分 公園のベンチに座って 平原綾香の「誓い」を聴きながら朝食のパンを食べる 傍のベンチで俳優と付き人らしい二人が台詞の練習に余念が無い 9:30ようやく開門 東光会の公募展の場所に急ぐ 小品展 30号 100号と見急ぐ すごい数とレベルの高さに圧倒される 自分の10号のピエロを見て そんなに悪くはないがまだまだ弱いと思った 067東光会は塗り重ねの美が大事と以前に聞いた まだまだ 塗りが浅い・・・仲間の画も師の画も見た 一度にあまりにもたくさんの画を見て 色と形で混沌とした頭のまま 駅に向かった 公園口通路の一番奥のエレベーターで一階へ  ロッカーから荷物を出し新幹線改札 予定より44分早い「やまびこ」に乗ることができた 全席指定の多い東北新幹線だから自由席があってとてもラッキーなことだ 「すき焼き風」駅弁を買って 無事「やまびこ」の席に落ち着いた 「ふー」と深く深呼吸・・・これから震災のお見舞いと鎮魂の旅が始まる・・・目の奥が痛くなる・・・大宮 宇都宮 郡山 福島・・・日本の故郷に向かって走っていると感じた・・・その美しい自然を汚染したことが悔しい・・・それでもなお「脱原発」をきっぱり宣言できない「政治」はなんなんだ・・・経済を押さえて みんなして 少しずつ 貧乏になったらいい  

  

    

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2012年5月16日 (水)

4泊5日綱渡りの旅 1

東光展に100号を出品する予定だったが 大阪の研究会で 「人間のピエロは豪華な部屋にいるのはおかしい 人形のピエロはこのように大きいのはおかしい このままでは100%落ちます どうしますか?」と師の師からいわれて 今回は10号までの小品展に出した006 本展のレベルも肌に感じたく 娘達がかって住んでた 宮城の名取や石巻 久田恵氏が産経新聞のコラム「家族がいてもいなくても」に書いていた岩手県宮古市の「グリーンピア田老」方面への震災のお見舞いと鎮魂の旅に近いうち行こうと決めていたので ゴールデンウイーク後の計画を立てた 地図の上では一ッ飛びでも新幹線を降りた後の目的地までたっぷり時間がかかる JTBと相談しながら交通手段を決める どうにか決めた 1150円の時刻表を購入 必要部分をカッターで切り取って鞄に入れて 5/7 9:29のひかりで京都を出た 12:10東京着 上野アメ横のホテル丸谷に荷物を預けて身軽になる 月曜は東京都美術館は休みなので翌日まわし それも 上野発(幸い東京まで行かなくてもいい)東北新幹線12:46に間に合うためには 画を見る時間は2時間しかない 新幹線の乗り場 すぐそばのコインロッカーの場所 公園口 009美術館までの道を歩いて頭に叩き込んでから  東京メトロ銀座線で浅草へ 今回は隅田川からスカイツリーを できればライトアップしたところを見たいと思った  浅草仲見世で時間をつぶして(親子どんぶりを食べた食堂に渡哲也・小林幸子・石田あゆみの若い頃の写真があった) 隅田川の辺のベンチで19時まで粘ったがライトアップはなかった それでも隅田川の豊かな水の流れと鉄橋を走る各種電車を眺めていると疲れも溶けて流れるようだった 今度また近いうちに 訪れて 「コニカミノルタプラネタリュウム天空」の宇宙を浮遊すような感覚を味わいたいものだ それも平原綾香の「オプニング」を見たい    

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